箱根湯本から畑宿までの旧東海道は、史跡や当時の風情が残る道が点在している穴場。雑誌等でもあまり紹介されないルートなので、歩く人も少なく、ゆっくりと当時の様子に思いを馳せながら散策する事ができます。
早雲寺正面に位置する当館は、秋の一大イベント箱根大名行列の起点に位置し、畑宿までのルートを散策するのに最適です。
また、少し足を伸ばせば、畑宿から先の甘酒茶屋までもう少し。この間は自然が多く、景観を楽しみたい方にはお勧めです。
当館からスタートするこのルートは登り中心。お勧めは、甘酒茶屋まで頑張って登り、バスで戻ってお風呂でのんびり。
登りはちょっと…という方は、当館前の早雲寺バス停から箱根登山バスで一気に畑宿、甘酒茶屋へ。下りルートで散策しながら当館までお戻り下さい。
距離約八キロ、高低差六百メートルの旧街道。ゆっくりとお楽しみ下さい。
花紋の玄関を出ると、正面にあるのが臨済宗大徳寺派、金湯山早雲寺。小田原北條五代の菩提寺で、北条氏5代の墓や北條早雲像など貴重な文化財も多く残っています。11月に寺宝一般公開がありますので、詳細は早雲寺までお問い合わせ下さい。
歌舞伎の仇討ち物で知られる曽我兄弟ゆかりの寺。境内には、兄弟が力だめしをしたと伝わる槍突石も残っています。箱根越えの無事を願った人々の地蔵信仰に端を発したものといわれており、県の重要文化財になっています。
日本橋より22番目の湯本一里塚跡。この辺りが江戸時代、湯本茶屋の中心でした。
台の茶屋バス停を過ぎ右の側道へ入ると旧街道。わかりづらいので、注意が必要です。
猿沢石畳み道のほぼ中央にあるのが、猿沢に架かる通称猿橋。
旧街道に数多くある石畳の一つ。花紋からは最初の石畳となります。全長約255m、国の指定史跡。
徳川時代の初期、京に向かう旅人がここで山賊に襲われ、須雲川の谷底に落とされ、途中の木にひっかかり気を失なったが、温かいお湯で気付き、一命を取りとめる。以来旅人はこの地を観音沢と名づけ、小さな庵を結び観音菩薩像を安置して一生を捧げ、村人からは「観音沢上人」と呼ばれ敬められた。(福寿院縁起より)
観音坂の石碑と、葛原坂の説明板が設置されています。
箱根観音福寿院から霊泉の滝迄はだらだらとした登りが続きます。史跡等はありませんが、須雲川の景観をお楽しみ下さい。
落差2~3m程度の小さな滝。「滝不動尊は、誠に霊験あらたか・・・」との立て札があり、飲料としても利用できます。
鎖雲寺は、早雲寺の塔頭の一つとして湯本に創建され、東海道が賑わいを見せはじめると須雲川村に移設されました。境内には浄瑠璃『箱根霊験記』で知られる飯沼勝五郎とその妻・初花のお墓があります。
本来は山林の管理用の道ですが、遊歩道として整備されています。途中、須雲川渓谷が垣間見え、飛び石で沢を渡るところもあり、ピクニック気分で歩くことができます。最後は板橋で須雲川を渡り、再び旧街道へ。
割石坂は、曾我兄弟の弟、五郎時致が、仇討ちの試し切りで路傍の巨石を真っ二つに切り割ったことが由来となっています。一部江戸時代の石畳が残っており300m程の石畳の道を進むと、再び県道へ出ます。
県道から旧東海道へと進むと、苔むした石畳の大澤坂へと続きます。スニーカー等の軽装では滑って大変危険です。大澤坂を見て「危ないかな」と思ったら迷わず県道で迂回し、畑宿まで行く事をお勧めします。
旧東海道を進み、大澤川の板橋を渡ると登りになり、別名座頭転ばし坂とも言われる大澤坂。苔むした石畳は風情がありますが、滑るので大変危険が伴ないます。できれば、トレッキングシューズ等の装備で。坂を見て危ないと思ったら迷わず戻り、県道で行くことをお勧めします。
大澤坂を上りきると、寄木細工の里として有名な畑宿。箱根の寄木細工はここから始まったと言われています。伝統工芸を紹介する「畑宿寄木会館」もあり、見学するだけでも十分に楽しめます。休憩所もあるので、一休みするには最適です。
江戸時代、参勤交代の大名や公家たちが使用した宿泊所跡。建物は焼失しましたが、小規模な日本庭園を見ることができます。また、畑宿は間の宿であり、旅人の宿泊は禁じられていたため、旅人が宿泊する籠はありませんでした。
芦ノ湖畔にある箱根神社の境外末社で、畑宿の鎮守。境内には、箱根七福神の毘沙門天が祭られています。
日蓮宗のお寺で、箱根七福神の大黒天が祭られています。七福神巡りは、江戸時代初期に庶民の間に広まった民間信仰と言われており、ここ箱根でも大変人気があります。
箱根旧街道石畳の入り口に位置する、日本橋から23番目の一里塚。発掘調査で分かった一里塚の構造を保存整備したもので、両側に一対の塚が再現され、当時の様子を知る事ができる貴重なものです。
一里塚から100mほど行くと、再び石畳の道で、西海子坂(さいかちさか)と呼ばれている坂に出ます。階段を上り、再び県道732号線へ出ると、ここから「七曲り」と呼ばれる区間に入ります。
七曲がりを進むと、再び旧街道の階段へと進みます。橿木(かしのき)坂と呼ばれていた坂でしたが、現在は急な階段となっています。「東海道名所日記」によれば、道中で一番の難所で、「橿木のさかをこゆれば、くるしくて、どんぐりほどの、涙こぼる」と詠まれているほどの急坂でした。
橿木坂の階段を登り切ると、旧東海道と見晴らし茶屋への分岐にさしかかります。休憩をとるなら上に登り、見晴らし茶屋へ寄り道するのもよいでしょう。
箱根旧街道の難所、七曲がりを登りきったところにある蕎麦屋さん。店舗は、県道沿いになります。名物は、とろろそばと自家製のシソジュース。縁台からは相模湾や山々の風景が眺められます
小さな沢にかかる、小さな木の橋。近くには、ちょっと休憩できるベンチが設置されています。
こちらの分岐からも、見晴らし茶屋へ通じています。「やっぱりひと休みしたい」という方は、こちらからどうぞ。
笈ノ平(おいのたいら)から流れる、小さな沢にかかる木の橋です。
新編相模国風土記稿には、「殊に危険、猿猴といえども、たやすくのぼり得ず、よりて名とす」とあり、坂の険しさをものがたっています。
猿滑り坂を登り、県道を進むと追込坂(おいこみざか)の入口となります。新編相模国風土記稿によれば、「ふっこみざか」とも読むようです。
なだらかな上り坂を進むと、親鸞上人が弟子性信房と訣別した所として知られている、笈平(おいのたいら)に続きます。ここには「箱根旧街道資料館」が休憩所と併設されています。